阪神淡路と東北地方太平洋沖地震
阪神淡路の震災の瞬間を思い出した。
地震のタイプが違うので、
揺れかたは違ったが、
あの時のことをカラダが思い出した。
住んでいた場所は京都だが、活断層そばだったので
激しい揺れに近所の家屋もやられた。
友人と2人で、震災から一週間後 寄せ集めの救援物資と人手を使ってもらおうと
トラックで神戸に乗り込んだ。
あのときも深夜の寒い冬、地元警察署の指示で、人手が足りない六甲の避難場所へ向かった。
短い時間だったが、いろんな事を見た。
東北はもっと寒いだろう。
毎年 お世話になっている方達が 宮城と盛岡にいます。
無事を祈ります。
助かった方、避難できた方も、
まだ安否が分らない方の心配がつのっていると思います。
救出作業などに従事している自衛隊、消防、救急、海保、警察、そのほかの方々が、
命がけで命を繋ごうとしてくれています。
いろんな国のひとも応援してくれてはります。
一刻も早く、一人でも多くの方が救われることを願っています。
直接的に被害から離れている我々は、
今すぐ出来ることは微力だけれど、何かかんがえよう。
阪神の人たちも廃墟の中から立ち上がってきはった。
東北の人たちも。 みんな絶対応援します。
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コメント
連絡が遅くなって申し訳ない。
君が無事安心した。奥さんと共に身体を大事に。
投稿: 店長 | 2011年3月13日 (日) 02時49分